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日常生活において私どもは移動の為に様々な道具や乗り物などを当たり前のように
使っている。
しかし一旦歩行障害に見舞われたならば移動の手段を全く変えなければならない。
何の障害も無くスムースに新システムに移行出来るのは極めて稀であろう。
これは交通機関を利用して通勤しているサラリーマンのを思い浮かべるまでもない。
2002年(平成14年)6月私は股関節症におそわれた。
以後松葉杖と車椅子は必需品になった。
これらを使ってみて痛切に感じたことは私どもの身の回りが如何に障害物に満ち溢れ
ているかであった。
診察中に2〜3歩先のものを取るのにもいちいち杖を使うか職員の手を煩わせなければ
ならない。
また杖で移動するのにも部屋と部屋との仕切りの2〜3センチの出っ張りが障害になる。
ドアを開けるのには片方の杖を外してドアのノブを回し、次に頭でドアを押し開けてからその
ドアが閉まらないようにドアの下を杖の先で止めて置いてから体を通すという複雑な手順が
必要となる。
このように一時が万事歩行障害のない時は全く何でもないちょっとした出っ張りやドアの
様式など家屋の構造が大きな障害になる。
この障害のことを英語でバリア(Barrier)と言い、障害がないのをバリアフリ
(Barrierfree)と言う。
私は恐竜が大好きである。昨年2002年7月に幕張メッセで開催された恐竜展を見に
行った。
勿論車椅子を持参した。
まず駐車場から会場までかなり距離がある。又車椅子用のスロープの登りはかなり腕力
が必要だし下りは車輪をしっかり握ってないと車イスが勝手に走り出してしまい腕が疲れる。
ここを手動の車椅子で行くとそれだけでへばってしまうであろう。
また会場に入るのに車椅子専用の通路はなかった。会場整理員の案内で受付の奥
エレベータで2階の会場にあがった。
恐竜の骨格は大きいので車イスでも十分鑑賞できた。
ただ説明コーナーのビデオなどは人々に囲まれると全く見えなかった。
会場では一般的に人々は車イスをよけて場所を空けてくれた。
その時のまなざしにはなにがしか哀れみの雰囲気を感じたのは私のひがみだろうか。
ともかく日本人は車椅子の人に対して親切であると感じた。
人々は親切なのに会場近くの階段を迂回するためのスロープなどは親切でない。
登りはきついし下りはスピードが出て危険だしひとつの階段を通るために作られたスロ
ープを通り抜けるだけでかなり体力を消耗してしまう。
確かに車椅子のための設備は備わっているが心がないというか実際に車椅子乗る人の
身になって作られていないように感じた。
これらは物理的障害、即ち物理的バリアである我が家は良く温泉に出かける。
温泉と言っても最近雨後の竹の子のように出来たボーリング温泉である。
この温泉には松葉杖で来る人を私以外には見かけないせいか温泉に入っていくと人の
視線を感じる。
脱衣場ではイスに座って着たり脱いだりするのであるがこれが大仕事である。
これまた見る人の興味を引いたようだ。
その割に身体の具合の悪いことについて聞かれたことは6月から11月までの間2,3度
あっただけである。
やはり他人の身体の不自由なことは聞きずらいのであろう。浴場内でもいつも人の視線
を感じた。
この見られていると言う感覚はいやなものである。実際は見られていないのに私がそう
感じているだけかもしれないがこの私の感覚も一種のバリアと言える。
これは心理的又は精神的バリアと言える。
私は診療録に電子カルテを使い診療内容を患者さんに開示・公開している。
血液検査をはじめ心電図、レントゲン写真、内視鏡、超音波、デジカメなどの画像デ
ータ及び紹介状などの文書はすべて電子カルテと連動しているファイリングソフトに
電子保存している。
患者さんの紹介時や転地などの時はこれらデータをCDに焼いて本人に渡している。
これは患者さん自身のカこの電子カルテはOSとしてWindowsを使っている。
他のOS例えばMacやLinuxなどでは使えない。
日本医師会が開発した電子レセコンORCAはLinux系を使っている。
これも他のOSでは使えない。OSが電子カルテのバリアと言える。
医療情報の共有化は医療レベルの向上と医療コストの削減が期待されており、その為に
は、医療情報の電子化の必要性が叫ばれ推進されている。
しかしOSがバリアフリーにならなければ真の電子化は一般化しないであろう。
OSの規格化はまず出来ないであろうし、どんなOSでも動く電子カルテの開発も
可能性はない。
それ故、日本の一般診療所すべてが共通の規格で電子化されるには解決困難なバリアが
多すぎる。
医療情報の全国的な電子化のバリアフリーは夢のように思える。これは電子的バリアである。
国立大学が独立行政法人化される日も近づいた。
生き残りをかけ各大学とも方策を練っている。
群馬大学は埼玉大学との統合大学を計画していると報道されている。
しかし今、付属学校の存続という問題が地域住民の間に生じていると聞いている。
これは新しい大学が誕生する過程での一種のバリアである。
新生大学の誕生までにはその他種々雑多なバリアをクリアしなければならないであろうと
思われる。
これは社会的バリアである。
当然、群馬大学医学部も民営化される。
新生医学部は勿論のこと、特に第二内科はその名がどのように変わろうとも外部に対し
バリアのない開かれた教室なり医局になって欲しいと願っている。


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